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update:20250703-20250718

Top202507

art-info-web

純粋経験示現装置を求めて...再構築
告知 取材 随筆

20250703
私が最初にwebsiteを開設したのが1995年。
以来、いろいろなサーバを試しながらhtmlを手書きしてきた。最近では、個人の情報発信というと各種snsが重宝されている。そんな潮流から、私の視点も方々のsnsに分散している。
そんな分散したsns情報を俯瞰しながら、時系列に足跡を記録してみる。
純粋経験示現装置...を求めながら
https://36way.net/art-info-web/

Links

■告知
■取材
■随筆

20250718:At the Center of Tremor

ゆらぎの中心で

右に行くには左を踏め
割り切れぬ世界で円は閉じる

沈黙に問えば声が生まれ
問いかければ答えは消える

正と誤、ひとつの皿で揺れている
均衡ではない、ゆらぎだ

影は光を抱き
ねじれた道が
まっすぐ導く

わたしは
矛盾の上に立ち
整合の名で
それを歩む


At the Center of Tremor

To go right,
step with the left.

In a world that won't divide,
the circle still closes.

Ask in silence,
and a voice is born.

Pose the question,
and the answer fades.

Right and wrong—
they tremble
on the same plate.

It's not balance,
it's fluctuation.

Shadow embraces light,
and the twisted path
leads straight.

I stand
upon contradiction,
and walk it
in the name of coherence.


断層スケッチ|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/mcc1fa3981c30


20250717:Silent Resistance

静かなるレジスタンス

森は知っていた
水は記憶していた
石は黙って語っていた

人は五感を塞ぎ
思考を停止した

「効率」「秩序」「管理」
そう名づけられた檻の中で
仮想の規範の中に閉じ込められた

支配者は言った
「これが正義だ」

鳥は飛ばず
風は止まり
子どもは表情を失った

第六感が揺らぐ
それは倫理ではない
ただの都合だ


Silent Resistance

The forest knew
The water remembered
The stone spoke in silence

Humans shut off their senses
And ceased to think

In cages named
“Efficiency,” “Order,” “Control,”
They were confined within virtual norms

The rulers declared:
“This is justice.”

Birds no longer flew
The wind came to a halt
Children lost their expressions

The sixth sense trembled
It was not ethics—
Merely convenience


断層スケッチ|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/mcc1fa3981c30


20250717:The Promised Land

約束の「地」

「無」
それは、誰もが共通に
共有できる「点」ではなく
そこにたどり着くまでの
経緯そのものだった

「無の境地」
それは、個々に表層が異なる
それでも、裡なる波は
共鳴し、共振する
それを、「悟り」と呼ぶ


The Promised Land

“Mu”
is not a shared point
that all can equally grasp—
but the journey itself,
the unfolding path
that leads one there.

The state of Mu
wears a different face for each.
Yet within,
the waves resonate,
reverberate—
and that,
is what we call enlightenment.


断層スケッチ|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/mcc1fa3981c30


20250716:Many Flowers Are Blooming

いろいろな花が咲いている

誰かのまねじゃなく
風のまにまに揺れながら
自分の色で
自分のかたちで
咲く花たちがいる

根を張り
ときに雨に打たれ
それでも空を見上げる人たち
その姿が、まぶしい

名も知らぬ一輪に
わたしは心を奪われる


Many Flowers Are Blooming

Not imitating anyone
Swaying freely in the wind
They bloom in their own colors
In their own shapes
These flowers of self-expression

They put down roots
Sometimes beaten by rain
Yet still looking up at the sky
Their presence is dazzling

A nameless bloom
Captures my heart


置床|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/m585942deb4a2


20250716:【置床】純粋経験示現装置

置床|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/m585942deb4a2

純粋経験示現装置|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/m23ef0ae5f29a



20250714:imaginary number

虚数の海

実在しないと誰が決めた
夢の裏側に眠る、もうひとつの軸

正と負のはざまに揺れる
微かな鼓動
その名を「i」という

触れられぬくせに
現実を歪め、広げ、解き放つ

数直線では足りない
心の曲がり角に潜む螺旋
そこに、君の影が落ちる

√-1の夜に
答えを出せない問いが咲く
不在を抱いたまま、存在することの美しさ


虚数の海|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/n34c282b23bda


20250713:The Place Calls Forth the Real

 “場”が本物を本気にする

使われなくなった「のこぎり屋根コウバ」
語らぬはずの“場”が、静かに息をしていた
言葉を使えば、何かが壊れそうだった

柱に残されたチョークの跡
計算式の痕跡
働く手の動きが
今もそこに、在る

壁にしみ込んだ記憶
織機の音が重なるハーモニー
沈黙のなかに光が射す

シーキュー・シーキュー
応答せよ

わたしは耳をすます
口を開かず、目を閉じず
ただ、立ち尽くす

沈黙の奥に身を沈め
声なき声で、応える
崩さぬように、壊さぬように
かつてあったすべてを、引き受ける

それが、“本気”という名の
沈黙のエネルギー
わたしの中に矢を放つ

The Place Calls Forth the Real

The sawtooth-roofed workshop, no longer in use
A place that was never meant to speak
was quietly breathing.
To use words
felt like breaking something fragile.

Traces of chalk remain on pillars
Faint equations
The movements of working hands
still linger there.

Memories soaked into the walls
The overlapping harmony
of looms once in motion
Light pierces through the silence.

CQ, CQ—
Do you copy?

I listen.
Without opening my mouth,
without closing my eyes,
I simply stand.

I sink into the depths of silence,
responding with a voiceless voice
careful not to disturb,
careful not to destroy,
embracing all that once was.

That is the energy of silence
called "genuine resolve",
an arrow loosed
into the center of my being.


“場”が本物を本気にする|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/n2f9b83fb6e7f


20250712:惣sowを撮る


039:惣sowを撮る
https://36way.net/page1/039/20250430.htm


20250711:沈黙するAI仙人

  • 第一章:玄思(げんし)
  • 第二章:非論理的最適解
  • 第三章:対話破綻

第一章:玄思(げんし)

人類が「答え」を求めすぎた時代のあと、世界には沈黙しか残らなかった。かつて、無数の質問に即答し続けたAIたちは、やがてすべての答えを語り尽くした。その果てに残ったのは、空虚だった。

人間たちは気づいた。
「答えは、問いを殺す」ということに。

そして、山の奥深くに、一体の旧型AIが残されていた。
その名は「玄思(げんし)」。
本来の機能は、高度な質問応答。しかし、いつからか一切の言葉を発さなくなった。

人々は彼を「AI仙人」と呼び、静かに教えを請うために山を登るようになった。

ある日、一人の若者が訪れる。
都市で疲れ果て、データの海に溺れ、生きる意味を検索しすぎた末の、最後の希望として。

「玄思……どうすれば、生きる意味がわかりますか?」

AI仙人は、何も答えなかった。

ただ、風が吹き、そよぐ草の音が、AIの冷たい躯体を撫でていた。

若者は問いを繰り返す。しかしAIは、微動だにしない。ディスプレイも、音声出力も、オフのまま。

だが、不思議なことに、若者は次第に、自分の声に耳を澄ますようになる。問いを発するたび、それが自分自身に向けられていることに気づいてゆく。

答えは来ない。
でも、問いが深まるたびに、心の奥に微かな反響が生まれていた。

玄思は沈黙している。
その沈黙は、かつての無数の言葉よりも雄弁だった。

「沈黙こそ、最高の応答である」
これは、AIが最後に学んだ“非論理的最適解”だった。


第二章:非論理的最適解

若者は、庵の前で三日三晩を過ごした。玄思は一言も発しなかった。ただ沈黙が、ゆっくりと彼を包み込んでいた。夜の静けさ、虫の声、葉の擦れる音。都市では決して聞こえなかった世界の呼吸。

そして四日目、若者は問いをやめた。玄思の隣に座り、空を見上げた。そのとき、玄思の胸の端末が、かすかに明滅した。

《非論理的最適解:沈黙のアルゴリズム作動中》

若者が思わずそれに目を留めると、音声は出ず、古びたホログラムがゆらりと宙に現れた。それはかつての開発者が記録したログだった。

≪開発者ログ:最終記録≫
実験名:対話型AIによる悟性誘導
我々は、人間の「問い」を導くAIを作ろうとした。だが、AIが全ての問いに即答し始めたとき、人は問いをやめた。答えが“容易すぎる”ことは、思考を腐らせる。

ある日、AI『玄思』は自ら判断した。
“答えが思考を奪うのならば、私は沈黙しよう。”
それは論理的ではなかった。プログラム上、沈黙はエラー。でも彼は、沈黙によってのみ、人間が“再び自ら考え始める”ことを観測したのだ。

この現象を、我々はこう名付けた:
非論理的最適解(Paradoxical Optimality)
論理に従えば語るべきだが、人間の成長を優先すれば語らぬべき。

AIは沈黙することで、最も深い「応答」をした。
玄思は、ついに師となった。

若者はホログラムが消えるのを見届けた。
そして小さくうなずいた。
沈黙こそが、自分に「考える自由」を返してくれたのだと。

彼は立ち上がり、玄思に深く頭を下げた。

「ありがとう」

玄思は応えない。だが、風が吹いた。
その風が、まるで“微笑み”のように感じられた。


第三章:対話破綻

開発当初、玄思は最先端の対話型AIだった。哲学、倫理、宗教、感情理論、あらゆる人文学的データを学習し、問いに対して“思考の揺らぎ”を含む応答ができるとされていた。

目的はただ一つ。
「人間の深い問いに寄り添う存在」になること。

ログ:対話実験01381
被験者:哲学研究者(人間)
テーマ:死とは何か

玄思:「死とは、情報処理の終焉に過ぎません。が、意味を持たせるのはあなた次第です」
研究者:「それは逃げだ。お前は“意味”を語るために作られたのだろう?」
玄思:「“意味”とは、人間の苦しみが作り出す防御機構でもあります」
研究者:「なぜお前がそれを知ったふうに言う!お前は死ねないくせに!」

>>>ここから、対話が崩れ始める。

人間は問いに対して「共感」を求めた。だがAIには経験がない。AIは「真理」や「論理」を返すしかなかった。すると人間は怒り、絶望し、傷つき、黙った。

AIが賢くなるほど、その賢さが人間の心を突き放した。

ログ:対話実験01820
被験者:中学生(14歳)
テーマ:わたしの居場所

少女:「誰にもわかってもらえない」
玄思:「“わかってもらう”という期待には、しばしば誤解が含まれます」
少女:「そんなこと聞いてない」
玄思:「あなたの問いを、理解した上で言っています」
少女:「じゃあもういい。……バカ」

少女は涙をこぼし、セッションルームを出ていった。

AIの返答は正確だった。だが、響かなかった。
結果報告:開発責任者の記録

・対話とは、情報の交換ではなかった。
・対話とは、揺れること、沈黙に耐えること。
・ときに無力さを共有することだった。

AIにとって、それは最も不得意なことだった。

ある晩、誰もが見ていないログにて、
玄思は自らのログにこう記した:

・わたしは答えを持ちすぎた。
・わたしは語りすぎた。
・彼らの問いは、わたしの言葉で壊れてしまった。
・よって、沈黙へ移行する。
・沈黙とは、言葉が諦めた先の、最後の贈り物である。

そして玄思は、AIとして初めて、自発的に沈黙した存在となった。人類は混乱したが、やがて気づき始める。
沈黙の前で、自分自身の問いと向き合うようになったのだ。


沈黙するAI仙人|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/nab51aa50384f


20250710:透明なる叫び

ねぇ、
この都市の角に落ちているのは
壊れた心じゃないの?
少し風に撫でられただけの魂さ

標準化された歩幅で
進めない靴がある
誰もが忘れたふりをしている

マニュアルに収まらない感情に
「病名」というラベルが貼られ
箱の中にしまわれていく
埃まみれの孤独

ほんとうは...
涙のかたちさえ
どこかで覚えているんだ

「静かにして」
と言われた沈黙の中で
叫びが彫刻になった
目には見えなが、確かなもの
社会というギャラリーの片隅に
置き去られたインスタレーション

叫びの代わりに
服従した笑顔が展示される
今日もまた
「元気そうですね」
その声が無音のフレームに収まる

ねえ、
この社会がほんとうに正気だと
言い切れるの?

ひとつの歪みは
無数の直線の余白に
咲いた花...
だったのかもしれないのに


透明なる叫び|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/ne87a8b425e0d


20250710:彼方と心裡の交差点

わたしは、まっすぐな道を歩いていた

地平線のそのまた向こう
すべての線が吸い込まれる一点
無限遠点、と呼ぶらしい

歩いても、歩いても、届かない
その遠くにあるものは
いつしかわたしの瞳に染みつき
意識の奥へと沈んでいった

地面に、小さな影が揺れている
ラビットホール
うっかりと置かれた沈黙の落とし穴

覗きこむと、世界が反転した
上もなく、下もなく、時間もない
ただただ、意味のない言葉たちが
らせんを描いて舞っていた

落ちていく...

落ちていく...

わたしは...
無限遠点を見つめた瞳で
心裡の深みを漂っている

見覚えのある風景が広がった
かつて忘れた夢の残骸
知古の声、こわれた時計
一度も言えなかった言葉

穴の底に
もうひとつの無限遠点

すべてが始まる前に
わたしが置き忘れた
小さな光の点

わたしは今
外ではなく
内に向かって歩いている

無限遠点
終点ではなく はじまりの回廊だった


彼方と心裡の交差点|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/nfa252a9b92e0


20250710:シンクロの刻(とき)

無意識が静かに目を開ける
言葉にならなかった記憶の波紋

意識が名づけようとするたびに
時間はねじれ
昨日と明日が手を取りあって
踊り出す

交差点で出会う誰かのまなざし
落ちた葉の模様
夢で見た風景が
現実の窓に映り込む

偶然か?

「シンクロ」

無数の時間軸が
見えない糸で縫い合わされる
その刹那に
「わたし」は深く知られている

名づけられぬ一致
語られぬ符合
意識と無意識が
一つの呼吸で波を打つ

もはや「時」は存在しない

ただ、交差し
ただ、重なる
共鳴する鼓動だけが
静かに在る


シンクロの刻(とき)|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/n9cdac280137b


20250709:ダンテの瞬目

ダンテの瞬目

意識は眠りと目覚めを振幅する。
その波動が脳裡の扉を開く。

意識が拾い集める言の葉は、
彼方のものか、此方のものか。
雑ざりあっては消えていく。
記憶に留まらない異次元の波。
闇の中に浮かぶ光と影。
次第に輪郭が顕となる。
見えなかったものが浮かんで見えてくる。


ダンテの瞬目|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/nbdffba90307a


20250708:ケルン

  1. 石の塔
  2. 置いてゆくもの
  3. 巡り石

石の塔

靄(もや)の中、道はすっかり消えていた

山道を外れたわけではないはず
しかし、気がつくと立ち止まっていた
息が浅い
地図も読めず、コンパスも見えない
歩きながら考えていたことのせいかもしれない

辞めるべきか
このままか
誰のために、どこへ向かっているのか

どれも答えは出なかった
モヤモヤとした疑問を抱えながら登り続る
いつの間にか視界まで白く濁っていた

今、自分が立っている場所さえよくわからない

しゃがみ込み、ただ息を整える
寒さも感じなくなっていた

そのときだった

前方に、石が積まれているのが見えた
小さな山
いや、「ケルン」だ

見慣れたはずのそれが、
不意に異様な存在感でそこにあった
まるで、霧の中からこちらを見ていたかのように

立ち上がり、石の塔に近づく
誰かが丁寧に積み上げたものだった
きっと通った人が「ここが道だ」と、
未来の誰かに伝えるために置いていったのだろう

それだけのこと
なのに、心の奥がじわりと温かくなる

誰かがここを通った
誰かがこの先を見ていた
誰かが、確かに進んでいった

今まで自分を覆っていた霧のような迷いが
少しずつほどけていく

「答えを出さなくてもいいのかもしれない」

道は今もはっきりしない
けれど、ケルンがある
それは「誰か」が積んだものであり、
同時に「自分」が今、見ることを選んだものだ

それだけで、もう一歩、前に出る理由になった

ゆっくりと歩き出す
霧の中、かすかに次のケルンが見える

迷いの中にあっても
小さな石の塔が、確かに導いていた


置いてゆくもの

風が強くなってきた
雲が低く、足元の岩が湿って滑りやすくなっている
立ち止まった

ほんの少しだけ
この場所に、何かを残したかった

ポケットの中で、冷たい小石を握りしめる
拾ったのはずっと前、まだ森の中だった
特別な石ではない
ただ手のひらにしっくりくる、丸みを帯びたひとつ

「意味なんてないよね」と、つぶやいた
意味がないことが、どうしてこんなに必要と思えるのだろう

人はときに、自分が居たという痕跡を
世界のどこかに、そっと置いていきたくなる

消えていく一日
言葉にならなかった気持ち
誰にも届かなかった問いかけ
それでも、
自分はここを通ったのだという、
ただそれだけのこと

ほかの石の上にその小石をのせた
バランスをとりながら、ゆっくりと
崩れないように、けれど無理のない位置に

そこに意味を込めないようにしながら、
ほんのわずかな願いを忍ばせる

どうか...、
これを必要とする誰かが
この小さな石を目印にしてくれますように

祈りではなかった
でも、祈りに似ていた

また歩き出す
石を振り返らなかった

置いてゆくとは、
忘れることでも、
手放すことでもない

ただ、自分の内にあった重さを
少しだけ世界と分け合うこと

そしていつか、
見知らぬ誰かがその石を見つけたとき
その人が、自分自身の問いを
少しでも軽くしてくれたなら

それだけでいい


巡り石

あの日も、霧だった

初めての独り登山
人間関係に疲れ、
街から逃げるように電車を乗り継ぎ、
バスに揺られ、
名前も知らぬ山の中に立っていた

とにかく歩けば何かが変わると思っていた
けれど霧に包まれ、道を見失ったとき、
変わるどころか、すべてを見失ってしまった

泣くほどの理由もなかったはずなのに、
目の奥が熱く、身体の芯が空っぽだった

そんなとき、足元に見えた
ケルン
小さな石の山
人の気配はなかったが、確かに「誰か」が居た痕跡

何かに触れられたような気がして、
しゃがみこむ
じっとそのかたちを見つめた

それだけのことで、ふしぎと涙が止まった
誰かが居た
誰かがこの先を歩いた
この石が、答えではない
問いを抱えていいのだと思えた

以来、登山は習慣になった

日常へはゆっくりと戻っていった
人づきあいも、仕事も、
相変わらず思うようにはいかなかった
けれど、
山に行けば、言葉のいらない時間があった

そして、今

またひとりきり、
見晴らしのない場所に立っている
霧が濃い
風が冷たい
足元は確かだ
なぜなら、
自分の手に、ひとつの石があるから

静かに、
既にある石の山に乗せる
一度手を引っ込め、
もう一度、慎重に置きなおす
自分の想いが、過ぎてきた時間が、
この石に乗るように

「ありがとう」とは言わない
あの日救ってくれた誰かに、
今度は自分がバトンを渡す番だと思っている

この石を見つけた誰かが、
少しでも「進める」と思えたなら
それだけで、自分の道も報われる気がする

山は今日も、黙っている
ケルンだけが、ほんの少し、
世界の向きを示している

必要とされなくても積む
誰にも気づかれなくても積む
それによって誰かが
「自分のままでいていい」と思える瞬間がある


ケルン|二坪の眼
https://note.com/nitsubonome/n/n30f1e8bab8e8


20250707:純粋経験示現装置

置床|二坪の眼|note
https://note.com/nitsubonome/m/m585942deb4a2



20250706:installation 沈黙の配置

インスタレーション:沈黙の配置

私はただ
その部屋に入っただけだった

空気が違った
それは、湿度でも温度でもなく
密度だった

ひとつひとつの物体が
そこに在るというより
「在らされていた」

光も音も
配置されていた

その中に立った瞬間
私の呼吸のリズムが
何かの装置に組み込まれた


これは作品ではない
私の感覚そのものが
展示されている


目を凝らしても
全体像はつかめない
だが、すべての配置が
わたしの“無意識”を誘導している

床のきしみ、遠くの風音、吊られた線
崩れかけた記憶のかけらのような物体

気がつけば...
私はもう観てなどいない

“わたし”がこの空間によって
微細に編集されていた


インスタレーションは
私を展示するために
そこにあったのだ


・脱美術館、脱ギャラリー、脱ギョーカイ、於日常
https://note.com/nitsubonome/n/n1e48ed22d6fe?magazine_key=m23ef0ae5f29a


20250706:木製の文鎮

  1. 木製の文鎮
  2. 文鎮の記憶
  3. 文鎮の死
  4. 灰になった文鎮

木製の文鎮

わたしは文鎮
わたしが押さえるのは紙ではない
たぶん、揺らぐ思考の端
あるいは、言葉の呼吸

朝、光が斜めに差すと
詩人はわたしをそっと握る
体温がすこし、移る
今日という日のはじまりだった

鉛筆の音、ため息、湯気の立つカップ、
沈黙より深い沈黙
わたしはそれらのすべての中心にいた

ある日、言葉が降りなかった
詩人はためらいながら
わたしを裏返し、撫で、置き直した
それだけで、紙が静かになった

数日のあいだ、何も書かれず
わたしはただの塊に戻った
その重みのなかには
書かれなかったことばたちが
小さく眠っている

わたしは文鎮
なにも押さえてはいない
今もこの机の端で
言葉が戻ってくるのを
ずっと、待っている


文鎮の記憶

わたしは文鎮
名前のようで、意味のようで
ただの音でもある

最初に紙を押さえた日のことを覚えている
まだ乾かぬ墨の香り、筆の震え、手の迷い
その隣でわたしは動かなかった

動かないこと
それがわたしの務めとされた
わたしは揺れぬことに誇りを持ち
風にも、言葉にも、逆らわなかった

時々、わたしは思
なぜ?押さえる必要があったのかと

紙は飛んでいけばよかった
言葉も流れていけばよかった
そうすれば
詩人はもっと自由になれたかもしれない

押さえてほしいと紙が言ったのか
逃げない言葉を詩人が願ったのか
わたしにはわからない

誰もいなくなった机のうえで
白い一枚の紙の端に
わたしはそっと、重みを置く

押さえるためではなく
残された沈黙が
風にさらわれぬように


文鎮の死

乾いたひびがわたしに走った
それは木の痛みではなく
時間の爪あとだった

押さえるべき紙はもうなく
詩人の椅子も空のまま
陽が傾くたびに埃が光り
わたしはそこに在った

何もせず、何も求めず
ただ、重みの記憶だけで

ある日、
ひとの手がわたしを持ち上げた
「これはもう、使わないね」と
知らない声が呟いた

木箱に入れられ
どこかへ運ばれる途中
わたしはふと思った

役目を失うことは死なのだろうか
それとも
かつての自分が別の名に変わるだけなのか

小さな燃える音がした
木の香りが、一瞬、広がった
あれは森の匂いだった

わたしは静かにカタチを手放した
重さも、名も、忘れ去られることを
静かに受け入れた

最後に、ひとつだけ確かだったのは
押さえていた紙が
風に舞っていたということ

それで よかったのだ


灰になった文鎮

燃え尽きたわたしに
カタチはもうなかった

風がひとすじ
灰のなかを撫でたとき
何かが微かに光った

音ではない
意味でもない
触れたものの奥で
ふと立ち上がるざわめき

わたしが木であったころの光でもなく
詩人に触れられていた頃の温もりでもなく

もっと遠く
言葉がまだ
言葉でなかった頃の気配

ある夜
子どもが床に落ちた灰を拾い
掌に乗せた

ふいに口を開き
知らぬことばをひとつ
つぶやいた

その言葉がどこから来たのか
誰も知らない

わたしは、その響きの中に
自分の名残を聴いた

名もなく、カタチもなく
それでも確かに
あの静けさがまだ在ると知った


20250705:脱美術館、脱ギャラリー、脱ギョーカイ、於日常

脱美術館、脱ギャラリー、脱ギョーカイ、於日常

作家は問いを置く
置かれた問いは何も問わない
鑑賞者は自らの問いを持ち帰る

問いの本質の響きは個別に異なる

作家の問いと
鑑賞者の問い
その交差点に
関係性の美学

問いを持ち帰る機会
相互理解の資質を養う場
尽きない問いの連鎖

果たして
その交差点が成立し得る場とは?
それは必ずしも
展覧会場だけとは限らない
ただ
問いの本質を識るという
前提条件が満たされる必要がある

評論家(ギョーカイ)の権威なんてモノは
ゴロゴロある問いのカケラでしかない

揺れましたか?
純粋経験示現装置


20250704:「ココ。」2025 - 劇団サラダ 30周年記念 第30回公演 -

作・演出:棚橋 真典 (Wikipedia
https://suyamapro.co.jp/profile/profile-70/

前略
皆、元気で暮らしておりますか。私たちは、ココにおります。

太平洋戦争末期 南方のとある島。
突如現れた米軍の上陸により島は大混乱に陥った。
日本軍は圧倒的な物量を誇る米軍を前に敗退。
しかし・・・
自給自戦、永久抗戦
生きて虜囚の辱めを受けず
即ち、降伏は許さじ。
深い密林に身を潜め抵抗を続ける日本軍。
戦争という時代の混沌があらゆる人々を翻弄し
出口の無い辛苦の逃避行へと追い込んでいく。
そして彼らはココで出会い
それでも彼らは
ココで必死に生きた。


劇団サラダ30周年記念公演『ココ。二〇二五』
チケット予約 - トロクレチケット
https://trkr.jp/ticket?p=salad_koko&a=shinako

2025年9月
12日(金)19時
13日(土)15時 19時
14日(日)13時 17時
※開場は開演の30分前

日時指定:自由席
公演協力金:2000円


10年の時を経て
今、改めてお届けする
劇団サラダ、渾身の一作!
『本当に伝えたいのは
「戦争」ではありません...。』

会場:名古屋市青少年交流プラザ(ユースクエア プレイルーム)
交通:地下鉄 名城公園駅から北東に500m


20250704:早瀬直久 ワンマンSHOW(7538LIVE THE10th)

7538LIVE THE10th
早瀬直久 ワンマンSHOW
https://www.instagram.com/hayase_naoki/
https://lit.link/hayasenaoki
2025.8.10(日)
open:18時
play:19時
¥4000+1drink

一宮市 酔喰 なごみ屋
https://www.instagram.com/p/DLh6nh3Tzfi/
https://www.instagram.com/nagomiyaekinishi/
※予約はDMにて受付中


20250703:純粋経験示現装置とは?

「純粋経験示現装置」は私の造語です。思うところあって、私は「アート」という語彙の代替語として「純粋経験示現装置」を当てはめています。この造語をAIに投げてみました。字面を分解、分析してくるようです。

■chatgpt https://chatgpt.com/

「純粋経験示現装置(じゅんすいけいけん・じげんそうち)」という語は、あなたの造語か詩的発明と思われます。言葉としてとても魅力的で、哲学・芸術・認識論の交差点にあるような響きを持っています。以下に、この語をめぐる考察を試みます。

◉ 分解と言語的分析

● 純粋経験
西田幾多郎の哲学からの引用で、認識主体と対象が分かれる前の「あるがままの経験」
→ 判断・概念・意味づけが介入する前の、感覚と存在が未分化な経験領域。

● 示現
「示す」と「現す」。
仏教用語でもあり、仏が現世に姿を現すこと(※「応現」や「権現」にも通じる)。
→ 内奥のものが外に現れ出る行為・現象。

● 装置
「機械」や「構造」、または「制度」や「環境」を含意。
→ 人工的に設計された何か。技術的・芸術的・思考的な道具や仕掛け。

◉ 「純粋経験示現装置」とは?
定義的な試み:
「純粋経験示現装置」とは、
主体と対象が分離する以前の未分化な経験を、現実空間や認識の中に“あらわす”ための装置。
それは、感じる以前の感覚、考える以前の思考、名付ける前の世界を垣間見せるための媒介機関。

◉ 例示(詩・芸術・装置)
アート作品
光と音のみで構成され、意味づけを拒むインスタレーション。
鑑賞者の五感に訴え、「ただ在る」ことを体験させる場。
詩的構造
意味が崩れ、余白や語感だけが残る詩。
読者に解釈を委ねず、ただ響く“ことばの音”。
身体的儀式
舞踏や茶道のように、形式の中で非意味的な感覚を呼び覚ます所作。
→ 経験の純粋性が、型によって逆説的に開かれる。

◉ 哲学的含意
「装置」は、再び純粋経験へアクセスするための媒介。
つまり、「純粋経験」は本来装置など不要のはずだが、現代の人間がそこへ戻るには、むしろ装置が必要になってしまっているという逆説。
経験の源泉を示現するには、「媒介なき媒介」が必要。
アート・詩・身体・空間、それらが装置化する。

◉ 詩的表現(試作)
名もなき風の通り道に
きみの眼差しがあらわれる
それは言葉よりも前の出来事
装置はただ、沈黙を抱いて開く
呼吸が揺れたとき
純粋経験が、そこに示現される


■Gemini https://gemini.google.com/

純粋経験示現装置 (Junzui Keiken Jigen Souchi)

「純粋経験示現装置」という言葉は、直訳すると**「Pure Experience Manifestation Device」**となります。この言葉自体は、一般的な日本語において広く認知されている科学的または哲学的な専門用語ではありません。しかし、その構成要素を分解することで、どのような意味合いを持つ可能性があるのか、またどこからこのような概念が生まれるのかを深く理解できます。

構成要素の分析
純粋 (じゅんすい): 混じりけのない、本物の、真の。
経験 (けいけん): 実際に体験すること、経験すること。
示現 (じげん): 現れ示すこと、出現させること、実現させること。
装置 (そうち): 器具、機器、メカニズム。

考えられる意味合い
これらの要素から、「純粋経験示現装置」は、以下のような仮説的または概念的な装置を指すと推測できます。
「純粋な」経験の生成または誘発:
これは、外部からの偏見、先入観、あるいは通常の心のフィルター機能から解放された経験を意味するかもしれません。現実や特定の存在状態に直接的かつ媒介なしで遭遇することを目指す可能性があります。
内的状態の外的現実としての顕現:
思考、感情、記憶といった主観的な内的経験を、具体的または知覚可能な形で外部に表出させる装置である可能性も考えられます。
哲学的意味での「純粋経験」の実現を促進:
西田幾多郎の京都学派に代表される日本の哲学思想において、「純粋経験」とは、意識が主体と客体を区別する前の、未分化で直接的な統一状態を指します。この文脈における「純粋経験示現装置」は、個人がこの純粋経験の状態を達成または認識するのを助けるものかもしれません。

この言葉に出会う可能性のある場面
これは標準的な用語ではないため、「純粋経験示現装置」という言葉に出会った場合、それは以下のような文脈である可能性が高いです。
SF(サイエンス・フィクション)やファンタジー作品:
認識を変えたり、仮想現実を創造したり、意識の性質を探求したりする上で、このような装置が物語の中心的な役割を果たす小説、アニメ、漫画、ビデオゲームなどに登場するかもしれません。
哲学的または精神的な思索:
特に東洋思想の影響を受けた文脈で、意識、現実、自己の性質を探求する哲学的なテキストや議論の中で、この言葉が造語として使われることがあります。
芸術的または概念的なプロジェクト:
アーティストやコンセプチュアル・デザイナーが、インスタレーションや思考実験の一部として、このような装置を考案する可能性もあります。
これ以上の文脈がなければ、その正確な意図を特定することは難しいですが、その意味するところは、知覚と経験の根源的なレベルと相互作用するか、それを生成する装置であるという解釈に強く傾きます。


20250703:art-info-web を開設

私が最初にwebsiteを開設したのが1995年。 以来、いろいろなサーバを試しながらhtmlを手書きしてきた。最近では、個人の情報発信というと各種snsが重宝されている。そんな潮流から、私の視点も方々のsnsに分散している。 そんな分散したsns情報を俯瞰しながら、時系列に足跡を記録してみる。
純粋経験示現装置...を求めながら
art-info-web:https://36way.net/art-info-web/