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純粋経験示現装置を求めて...再構築
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20250703
私が最初にwebsiteを開設したのが1995年。
以来、いろいろなサーバを試しながらhtmlを手書きしてきた。最近では、個人の情報発信というと各種snsが重宝されている。そんな潮流から、私の視点も方々のsnsに分散している。
そんな分散したsns情報を俯瞰しながら、時系列に足跡を記録してみる。
純粋経験示現装置...を求めながら
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20250703:純粋経験示現装置とは?

「純粋経験示現装置」は私の造語です。思うところあって、私は「アート」という語彙の代替語として「純粋経験示現装置」を当てはめています。この造語をAIに投げてみました。字面を分解、分析してくるようです。

■chatgpt https://chatgpt.com/

「純粋経験示現装置(じゅんすいけいけん・じげんそうち)」という語は、あなたの造語か詩的発明と思われます。言葉としてとても魅力的で、哲学・芸術・認識論の交差点にあるような響きを持っています。以下に、この語をめぐる考察を試みます。

◉ 分解と言語的分析

● 純粋経験
西田幾多郎の哲学からの引用で、認識主体と対象が分かれる前の「あるがままの経験」
→ 判断・概念・意味づけが介入する前の、感覚と存在が未分化な経験領域。

● 示現
「示す」と「現す」。
仏教用語でもあり、仏が現世に姿を現すこと(※「応現」や「権現」にも通じる)。
→ 内奥のものが外に現れ出る行為・現象。

● 装置
「機械」や「構造」、または「制度」や「環境」を含意。
→ 人工的に設計された何か。技術的・芸術的・思考的な道具や仕掛け。

◉ 「純粋経験示現装置」とは?
定義的な試み:
「純粋経験示現装置」とは、
主体と対象が分離する以前の未分化な経験を、現実空間や認識の中に“あらわす”ための装置。
それは、感じる以前の感覚、考える以前の思考、名付ける前の世界を垣間見せるための媒介機関。

◉ 例示(詩・芸術・装置)
アート作品
光と音のみで構成され、意味づけを拒むインスタレーション。
鑑賞者の五感に訴え、「ただ在る」ことを体験させる場。
詩的構造
意味が崩れ、余白や語感だけが残る詩。
読者に解釈を委ねず、ただ響く“ことばの音”。
身体的儀式
舞踏や茶道のように、形式の中で非意味的な感覚を呼び覚ます所作。
→ 経験の純粋性が、型によって逆説的に開かれる。

◉ 哲学的含意
「装置」は、再び純粋経験へアクセスするための媒介。
つまり、「純粋経験」は本来装置など不要のはずだが、現代の人間がそこへ戻るには、むしろ装置が必要になってしまっているという逆説。
経験の源泉を示現するには、「媒介なき媒介」が必要。
アート・詩・身体・空間、それらが装置化する。

◉ 詩的表現(試作)
名もなき風の通り道に
きみの眼差しがあらわれる
それは言葉よりも前の出来事
装置はただ、沈黙を抱いて開く
呼吸が揺れたとき
純粋経験が、そこに示現される


■Gemini https://gemini.google.com/

純粋経験示現装置 (Junzui Keiken Jigen Souchi)

「純粋経験示現装置」という言葉は、直訳すると**「Pure Experience Manifestation Device」**となります。この言葉自体は、一般的な日本語において広く認知されている科学的または哲学的な専門用語ではありません。しかし、その構成要素を分解することで、どのような意味合いを持つ可能性があるのか、またどこからこのような概念が生まれるのかを深く理解できます。

構成要素の分析
純粋 (じゅんすい): 混じりけのない、本物の、真の。
経験 (けいけん): 実際に体験すること、経験すること。
示現 (じげん): 現れ示すこと、出現させること、実現させること。
装置 (そうち): 器具、機器、メカニズム。

考えられる意味合い
これらの要素から、「純粋経験示現装置」は、以下のような仮説的または概念的な装置を指すと推測できます。
「純粋な」経験の生成または誘発:
これは、外部からの偏見、先入観、あるいは通常の心のフィルター機能から解放された経験を意味するかもしれません。現実や特定の存在状態に直接的かつ媒介なしで遭遇することを目指す可能性があります。
内的状態の外的現実としての顕現:
思考、感情、記憶といった主観的な内的経験を、具体的または知覚可能な形で外部に表出させる装置である可能性も考えられます。
哲学的意味での「純粋経験」の実現を促進:
西田幾多郎の京都学派に代表される日本の哲学思想において、「純粋経験」とは、意識が主体と客体を区別する前の、未分化で直接的な統一状態を指します。この文脈における「純粋経験示現装置」は、個人がこの純粋経験の状態を達成または認識するのを助けるものかもしれません。

この言葉に出会う可能性のある場面
これは標準的な用語ではないため、「純粋経験示現装置」という言葉に出会った場合、それは以下のような文脈である可能性が高いです。
SF(サイエンス・フィクション)やファンタジー作品:
認識を変えたり、仮想現実を創造したり、意識の性質を探求したりする上で、このような装置が物語の中心的な役割を果たす小説、アニメ、漫画、ビデオゲームなどに登場するかもしれません。
哲学的または精神的な思索:
特に東洋思想の影響を受けた文脈で、意識、現実、自己の性質を探求する哲学的なテキストや議論の中で、この言葉が造語として使われることがあります。
芸術的または概念的なプロジェクト:
アーティストやコンセプチュアル・デザイナーが、インスタレーションや思考実験の一部として、このような装置を考案する可能性もあります。
これ以上の文脈がなければ、その正確な意図を特定することは難しいですが、その意味するところは、知覚と経験の根源的なレベルと相互作用するか、それを生成する装置であるという解釈に強く傾きます。


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私が最初にwebsiteを開設したのが1995年。 以来、いろいろなサーバを試しながらhtmlを手書きしてきた。最近では、個人の情報発信というと各種snsが重宝されている。そんな潮流から、私の視点も方々のsnsに分散している。 そんな分散したsns情報を俯瞰しながら、時系列に足跡を記録してみる。
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