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update:20230410

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赤い秒針

昭和40年代前半、私は小学生だった。貧しい家庭だったが、生活に不満は無かった。それは少年の、小さな不思議への眼差しだった。今でも、私の深くに刻まれている。

母は私に、振り子時計のネジを巻くことを教えた。

柱の鴨居の上にある掛け時計。私は踏み台に乗り、振り子が止まった時計の蓋をあける。蝶形の巻きネジを取り出して、時計のネジを巻く。ネジ穴はふたつ。右と左。両方ともにネジを巻いていく。

ギリィリィリィっ、ギリィリィリィっ、とネジを巻く。その動作が楽しかった。面白かった。

ふたつのネジを巻き終えると、軽く、そっと、振り子を指で押す。それは私にとってのクライマックス。振り子が動き出す。右に左に。止まっていた赤い秒針が動き出す。今度はいつ止まるのだろう。また、ネジを巻きたい。ネジ巻きは私の仕事となっていた。

六畳の和室に家族四人で眠る。父、母、弟、と私。毎日四人分の布団を敷く。それが日課となっていた。眠るための準備、眠るための営み。テレビが消され、蛍光灯はナツメ電球の明かりだけになる。小さなオレンジの明かりが部屋ににじむ。薄暗がりの中で眠りを迎える。仰向けの視線の先には柱時計がぼんやりと見える。

チッ、コッ、チッ、コッ、チッ、コッ、チッ、コッ... 昼間には聞こえてこない振り子の音。

私は時計の赤い秒針を追った。振り子の振幅によって1秒を刻んでいる。1秒という時間の動き。1秒が音を立てて揺れている。時間ってなんだろう?1秒ってなんだろう?私は、1秒を刻みながら進んでいく赤い秒針を眺めている。

一周すると黒い長い針が1分を刻む。時間はそうやって進んでいく。過ぎていく。赤い秒針は、ただただ進んでいく。ただただ、過ぎていく。

1秒が見える。1秒が消える。

私は1秒の中に居るのだろうか。それとも、私の中に1秒が流れているのだろうか。進んだ1秒は決して戻らない。戻せない。

消えていくの?

でも、私の中では私が連続して繋がっている。1秒前の私。今の私。1秒先の私。消えていく私。何処ヘ行くのだろう?1秒先の私、何処から来るのだろう?今の私は今だけの私?

赤い秒針が私の1秒を刻む。

私は流れている?私は過ぎ去っている?何処から来るの?私。それは、1秒が過ぎ去った私から来る。?。私の中で1秒が回っている。私の過去と未来が繋がっている。時間は回っている。直線上に進むのではなく、時間は回転する球体か。

私は私の時間を輪切りにして眺めてみたい。1秒ごとに輪切りにして、そこに永遠に存在しているであろう私を取り出して眺めてみたい。1秒単位で存在が記録されていく私。私はずっとそこに存在しているような気がする。

中学の時に、祖母が他界した。祖母は動かないまま、仰向けに眠っていた。祖母が死んでも、太陽は東から昇る。昨日と変わらない今日を迎える。世間は何も変わらない。

時間は私が生まれる前から動いている。私が消えても、時間は動いているだろう。

静けさの中で時間を追いかける私の原点。私は今でも私の時間を追いかけている。何処に向かっているのだろう。何処に過ぎて行ったのだろう。

私を輪切りにすれば、時間が見えるのだろうか。