| 一瞬、強い香りが鼻を突いた。それは、人工的な香り。
 きっと、人が肌に付けるものだろう。
 しかし、度が過ぎては嫌味だな。
 息苦しい。
 わたしはベンチに横たえた身体を起こした。 ほどなく強い香りは風に流されていった。人が通り過ぎて行ったのだろうか....。 両足を地面に下ろすと、コツンと何かにあたった。屈んで覗いて見ると、木製の枠だった。
 右手に拾い上げてみる。
 A4サイズのコピー用紙ほどの大きさだろうか。
 細身の角材をビス止めした簡単な造り。
 市販のものではない。
 自作枠。まだ新しい。
 一辺に何か書いてある。肉筆だ。
 「世間の枠」。 はて....? 足下に転がっていた世間の枠。いつから有ったのだろう?
 それが今、わたしの手に有る。
 枠の中に自分の顔を埋めてみたり....。腕を伸ばして遠くの景色を枠の中にはめ込んでみたり....。
 世間の枠の視角を眺めてみる。
 枠までの距離や傾きによって枠の中の納まりが異なってくる。
 当たり前か。
 枠の中が変様すれば、枠の外も変様する。
 当たり前か。
 枠の中と外は繋がっているのだから。それを敢えて枠で仕切るのが
 「世間の枠」ということか。
 公園を立ち去った「あの御人」も世間。枠を替えれば「わたし」も世間。
 わたしの含まれない世間と
 わたしが含まれる世間。
 枠の向こう側と、
 枠のこちら側。
 一本の線。その区切りですべてが様変わりする。
 枠、という境界。
 世間との折り合いの線。
 一本の枠を加える時。
 世間の枠は自分の中に生まれる。
 真夜中の公園は相変わらずベンチが点滅している。いくつかの灯りが消え、いくつかの灯りが点く。ベンチに座る人、ベンチを立ち去る人。そんな光景が遠く彼方にまで繰り広げられています。わたしのベンチもまた、彼方からは点滅するベンチのひとつとして映るのでしょう。 |