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update:20220608

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公園のベンチ

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錯覚

わたしにはわたしを確かめる術が無い。
これは不文律か。

わたしがわたしだと思っているわたしは、
全きわたしではない。

わたしがわたしを知れずして、
わたしはわたしを伝えることができるだろうか?

わたしの中に錯覚が生まれている....?

決して掴まえることができない錯覚。
錯覚は、わたしが及ばないところで、
わたしに影響を及ぼしている。

好き、とか嫌い....とか。

わたしの感情。
感情がわたしを突き動かす。

おまえは誰だ?
わたしに問いたい。

錯覚はいつも断片的。
浮かんでは消え、
消えては浮かぶ。
神出鬼行。

錯覚の断片は振動する。
時のカケラが共振する。
錯覚は増幅される。
わたしは錯覚の波に飲み込まれる。

だから、好きなの。
だから、嫌いなの。

わたしの好き嫌いに因果は見えない。
錯覚に飲み込まれたわたしの感情。
それがわたしとして存在する。
わたしはわたしの感情を引き受ける。

感情の粒子。
掌に乗せて眺めてみたい。

見えるのか?

平面に奥行きのある空間を描く。
一本の線を配置する。
空間が歪む。
見る側の錯覚と混乱。

立体に光を当てる。
平面に投影される影。
別の立体が出現する。
空間の組み合わせ。

どこまでが現実で、
どこからが錯覚なのか。
果たして境界があるのか。

二次元から見た三次元。
三次元から見た四次元五次元。

見えるのか?

影から想像してみる。
断層から想像してみる。
錯覚のイマジネーション!

具現化はどこまでも三次元。
囚われの身。
制約の身。
わたしの影。
断片なるわたし。

真夜中の公園は相変わらずベンチが点滅している。いくつかの灯りが消え、いくつかの灯りが点く。ベンチに座る人、ベンチを立ち去る人。そんな光景が遠く彼方にまで繰り広げられています。わたしのベンチもまた、彼方からは点滅するベンチのひとつとして映るのでしょう。

2019/07/12